プログラミングができるようになる事は楽器ができるようになる事と似ている

プログラミングができるようになる事は、楽器ができるようになる事と似ている。

プログラミングも楽器も、それぞれ様々な種類がある。
プログラミングだったらC言語・BASIC・Java・SonicPiやProcessing・Logo・ScratchやVISCUITなどなど。
楽器だったらリコーダー・鍵盤ハーモニカ・バイオリン・トランペット・ドラム・テルミンなどなど。
どれも、狙いも、機能や役割が違う。
そして、やろうとする人の好みがある。

好きで上達しちゃうものもあるし、やっても上達できないものもある。
上達できる理由は、適性だったり、タイミングだったり、きっかけをつくった先生の影響もあるかもしれない。
上達できない理由は、モチベーションの低さだったり、そのものの難しさだったり、困った時のサポート体制が無かったり。
 
さて、
プログラミング教育で、自分は、コンピュータ科学(イングランドで言う教科コンピューティング)のアプローチが必要だという立場だ。
 
楽器を習熟する時、楽器ができるようになる事と並行に、音は空気の振動だという事や、周波数や、音階やら、原理的な事、合奏やオーケストラの事などを、子どもたちの発達段階に応じて学んでいる。

プログラミングもできるようになる事と並行に、身の回りで使われているという事や、コンピュータは電気で動いているとか、0と1の組み合わせで処理をしているという事や、CPUの仕組みやら、小学生でわかる粗さで学ぶことが大事になる。
サンドイッチにしないとツールが使えるようになるだけ。プログラミング教育の価値が担保できない。
 
指導要領で言えば、プログラミングは技能。コンピュータ科学は知識。新指導要領では「知識」及び「技能」と幾度も出てくる。

知識と技能、両方を使い、試行錯誤して問題解決をし、新たな問いをつくる事で「深い学び」「豊かな人間性」に結びつけるという指導要領の考え方は、プログラミング教育でも十分に適用できるはずだし、現状の実践例に足りないコンピュータ科学の「知識」をもっと重んじるべきでないだろうか。

参考:文部科学省 新しい学習指導要領が目指す姿

 

わからない学校の先生でも大丈夫。という文句が出たりするが、新しい内容であるプログラミング教育を教える教師は、先に述べた小学生でもわかる「粗さ」のコンピュータ科学の「知識」は学んでおく必要がある。「技能」と「知識」を学んだ教師は、プログラミング教育をするときの言葉の重みが変わってくるはずだ。

(楽器が広くとても浅くできる自分が、楽器店に立ち寄って考えていた事を残してみた。)

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コメント: 1
  • #1

    kaoaru (土曜日, 05 5月 2018 14:47)

    そのとおりだな、と思います。
    そして、試行錯誤しないでやれちゃうのが天才(笑)