コンピュータは不器用である

プログラミングは、コンピュータの性質を知るために一番よい方法だと言える。

でも、その性質は決して人間にとって、楽で助かる側面だけではないはずだ。

プログラミングは、どこかの誰かが決めた「型」で、その型の通りに命令を与えないときちんと動かないか、冷酷にエラーを返してくる。

デバックは、その不器用で(愛おしい)性質を知るために必要なエラーを直す手続き。

コンピュータは「またエラーかよ!」なんて反応はしない。

だから、子どもたちは、何度でも何十回でも、トライアンドエラーをする。その中で、コンピュータとの付き合い方を体得していくわけだ。

楽で便利で困らないような、簡単な開発環境はいくらでもある。

でも、楽で便利で困らない開発環境では、コンピュータの性質に触ることは難しいし、その経験の先でコンピュータの不器用さと向き合った時、子ども達は逃げ出さず、真摯に向き合うことができるだろうか。

不器用さを十分知った上で、楽な環境に行ったって、問題はない。
でも、楽な環境から、その先に進めるか?


例えば、レトルトカレーやカップ麺だけで育った子がいたならば、進んで料理をするようになるだろうか。

小学校のプログラミング教育では「子どもができないから」という論で「楽」な活動が溢れている。

でも、それは「子どもができないから」ではなく、「大人ができないから」ではなかろうか。

プログラミング教育(教育とつけたのが失敗なんだな)が必修化されるが、「教科の内容理解のためにプログラミングを使う」となった段階で、不器用な性質を扱う事は排除されがち。


それで、本当に大丈夫なんだろうかと思う。
デバックの面倒臭さを通る事はかなり大事な事。

今までの教員研修会や講師として話す場でも伝えてきたが、これかもこの辺りは外さず、先生方に伝えていきたい。